2023/03/05
「今回の水害がどのように発生したのか?」をお会いした方々に度々説明していました。
かなりの回数説明したので、説明上手?になったような気がします。
『想定外の大雨が降り続け、
本流の梯川から60の水が流れ、
支流の滓上川からも60の水が流れ
合流地点からは100しか出ていかないから
20の水は中海町に入り込んだ』と・・・
こんな説明をしているうちに、
なぜなのか?私の頭にある歌が流れるのです。。。
♪ 梯とー滓上川のー落合にー
せせらぐ水の清らかさー
美しいーわがふるさとよー
われーら ここにー
智慧をみがき からーだきたえ
いざー友よー手をたずさえて
おーきな希望ー育てていこーぉ♪
♪♪仏生寺ー丘の東にー白山のー
かがやく雪の明るさよー
そそり立つ われらが母校ー
われーら ここにー
心みがきーひとーみ清く
いざー友よー手をたずさえて
ゆーたかな未来ー開いていこうーぉ♪♪
母校の中海小学校の校歌です。
水害のことを考えると脳裏に流れる校歌・・・
『♪梯とー滓上川のー落合にー♪』だからなのでしょうが・・・
水害と何らかの関係があると思った私は、調べに調べて調べました。
(※分かりやすくお伝えするために詳細は省きますm(_ _)m )
1873年・・・“中村小学校”が民家内で創立
1884年・・・小学校校舎が新築
1896年・・・新築から12年目に洪水被害(明治29年)
当時の校長の手記『8月2日、梯川および滓上川の堤防が全壊して濁水氾濫。
中村、軽海村、荒木田村の全域被害。深い所で2.3m。
校舎は激流のため傾斜。壁は脱落。ほとんどの備品が流出。』
1901年・・・上記水害から5年後、場所を変えて新校舎を落成
1959年・・・落成から58年目に大洪水発生(昭和34年)
『8月14日、午前11時が最高水位で大人の胸当たり。
梯川と滓上川の合流地点であふれた。
床上浸水20戸、床下浸水30戸、町内半数が被害。
孤独状態となった中海町は、市から舟が運ばれての救助活動あり。
犠牲者おらず。水稲・農作物への被害甚大。』
1970年・・・大洪水から10年後、場所を変えて仏生寺山に新校舎竣工(現在の場所)
1972年・・・校歌制定(作詞 吉田三郎)
水害の被害があってから5年後に場所を変えて校舎を建て、
更なる水害があって10年後に山の上に校舎を建てていることは、
「水害と関係ない」とは言えないし、校歌の内容も見方によっては・・・
『ようやく安心できるところに校舎が出来た!
さぁー!手をとりあって、将来を築こう!』とも取れなくもない(私だけ?)。
真相は分かりませんが・・・実際に水害復旧中の私の頭に流れていたのは、中海小学校校歌でした。
そして・・・調べていくうちに驚きを発見してしまいました!!!
1873年(明治6年)・・・小学校創立
1923年(大正12年)・・・創立50周年記念式
1973年(昭和48年)・・・創立100周年記念式
2023年(令和5年)・・・創立150周年!!!???
今年?150周年?知らんだ!知らないの私だけ??!
【・・・水害ブログ・・・最終回につづく】
かなりの回数説明したので、説明上手?になったような気がします。
『想定外の大雨が降り続け、
本流の梯川から60の水が流れ、
支流の滓上川からも60の水が流れ
合流地点からは100しか出ていかないから
20の水は中海町に入り込んだ』と・・・
こんな説明をしているうちに、
なぜなのか?私の頭にある歌が流れるのです。。。
♪ 梯とー滓上川のー落合にー
せせらぐ水の清らかさー
美しいーわがふるさとよー
われーら ここにー
智慧をみがき からーだきたえ
いざー友よー手をたずさえて
おーきな希望ー育てていこーぉ♪
♪♪仏生寺ー丘の東にー白山のー
かがやく雪の明るさよー
そそり立つ われらが母校ー
われーら ここにー
心みがきーひとーみ清く
いざー友よー手をたずさえて
ゆーたかな未来ー開いていこうーぉ♪♪
母校の中海小学校の校歌です。
水害のことを考えると脳裏に流れる校歌・・・
『♪梯とー滓上川のー落合にー♪』だからなのでしょうが・・・
水害と何らかの関係があると思った私は、調べに調べて調べました。
(※分かりやすくお伝えするために詳細は省きますm(_ _)m )
1873年・・・“中村小学校”が民家内で創立
1884年・・・小学校校舎が新築
1896年・・・新築から12年目に洪水被害(明治29年)
当時の校長の手記『8月2日、梯川および滓上川の堤防が全壊して濁水氾濫。
中村、軽海村、荒木田村の全域被害。深い所で2.3m。
校舎は激流のため傾斜。壁は脱落。ほとんどの備品が流出。』
1901年・・・上記水害から5年後、場所を変えて新校舎を落成
1959年・・・落成から58年目に大洪水発生(昭和34年)
『8月14日、午前11時が最高水位で大人の胸当たり。
梯川と滓上川の合流地点であふれた。
床上浸水20戸、床下浸水30戸、町内半数が被害。
孤独状態となった中海町は、市から舟が運ばれての救助活動あり。
犠牲者おらず。水稲・農作物への被害甚大。』
1970年・・・大洪水から10年後、場所を変えて仏生寺山に新校舎竣工(現在の場所)
1972年・・・校歌制定(作詞 吉田三郎)
水害の被害があってから5年後に場所を変えて校舎を建て、
更なる水害があって10年後に山の上に校舎を建てていることは、
「水害と関係ない」とは言えないし、校歌の内容も見方によっては・・・
『ようやく安心できるところに校舎が出来た!
さぁー!手をとりあって、将来を築こう!』とも取れなくもない(私だけ?)。
真相は分かりませんが・・・実際に水害復旧中の私の頭に流れていたのは、中海小学校校歌でした。
そして・・・調べていくうちに驚きを発見してしまいました!!!
1873年(明治6年)・・・小学校創立
1923年(大正12年)・・・創立50周年記念式
1973年(昭和48年)・・・創立100周年記念式
2023年(令和5年)・・・創立150周年!!!???
今年?150周年?知らんだ!知らないの私だけ??!
【・・・水害ブログ・・・最終回につづく】
有限会社のむら農産の代表 野村 佳史(ノムラ ヨシフミ)です。
白山連峰の山あいで代々続く米農家の二十代目として、のむら農産の代表をさせていただいております。
米づくりは農薬化学肥料を限界まで抑えた県認証の特別栽培米を生産し、また合成添加物を使わない昔ながらの製法で、餅やかきもちに加工して販売しております。
農家の本質である『食べる人の笑顔』を想い、米づくりや餅づくりにあたり、あったかい食卓のような、和みの空間を皆様にお届けすることが私の使命と思っております。
のむら農産
https://www.nomura-nousan.co.jp/
のむら農産は、石川県小松市中海町にてお米の栽培から、加工、販売までを行っております。
農業に一番重要な土の力を育むために堆肥にこだわり、また、山間部である中海町という昼夜の寒暖差が激しい土地で育まれるお米は、甘みと香りが強く、ふっくらとした味わいになります。
直売店『きのこの里』や、通販サイトにて、お米はもちろん、それらを加工した「かきもち」や「餅」も販売しております。
どうぞよろしくお願いします。