2023/03/02
中海町に「海」という字が入っています。
海からは直線でも10㎞以上離れた山辺に位置しているにもかかわらず、
町名に「海」が入っているのはなぜなんでしょうか?
今回の水害で私が一番気になったことでした。
私は単純に「昔は大きな湖があったのではないか?」と思っていました。
実際どうなのかを知りたくて「昭和51年発刊の『中海町史』」を
家の奥から引っ張り出して調べてみました。
(分かりやすくお伝えするために正確な詳細は省いて記載します事ご了承ください)
『皇国地誌:加賀国_能美郡_中村(かがのくに_のみぐん_なかむら)』とあります。
???なんと!元来、中海には「海」という字が付いていないのです!!!
更に、読み解いていくと・・・
『明治21年、「市制および町村制」が公布』
これは、簡単に言うと『村合併しなさい』というものです。
これにより・・・この辺一帯の、荒木田村、軽海村、中村、岩渕村、桂谷村、原村、下麦口村、上麦口村、嵐村、中ノ峠村の10村は
合併して「中海村」になりました。
この村名になった理由は戸数や人口が多かった中村(590人)と軽海村(587人)の
「中」と「海」の字を取り合わせて「中海村」となったそうです。
それから、67年後の昭和30年に、中海村は能美郡から小松市に編入合併されたのですが、
中海村と一色単にされていた元10村は、それぞれの町名を持って別れることになりました。
本来であれば、「中村」であったので「中町」となるのですが、「中海」という呼び名が消滅するのを惜しんで
「中町」ではなく、「中海町」となったわけです。
これにより、現代の町名と同様になります。
荒木田町、軽海町、中海町、岩渕町、桂町、原町、麦口町、上麦口町、嵐町、中ノ峠町
ここで、問題視している「海」の字ですが、
前述したとおり、『「軽海」の「海」を取って・・・』
なぜ、軽海には「海」の字が付いていたかに話が変わっていきます。
そこで、軽海町の方に「昭和56年発刊の『軽海町史』」をお借りして調べました。
『皇国地誌:加賀国_能美郡_加留美(かがのくに_のみぐん_かるみ)』とあります。
なんと!!!元来、軽海にも「海」の字はついていなかったのです。
残念ながら「加留美」が「軽海」になった詳細は記されていませんでしたが、
代わりに、このように記載されていました。
『(※簡略表記)梯川が頻繁に決壊し水害が発生。低い土地の加留美は水が引きにくく、海のように・・・」
当時の人が水害で小さい海のようになっているのを見て「軽海」と言ったことが発端ではないか?と書かれています。
また、こうも記載があります。
『(※簡略表記)風雨の変土によって、小松町より軽海村まで泥海と化し・・・』
要するに、梯川は氾濫・洪水が多かったようです。
ですので、梯川沿線の町名には水に関係した町名が多かったり、水害から逃れるために移住したところの「島」を用いた町名が多いのです。
・・・これに関しては、おそらく、日本のどこでもある話ではないかと思われます。
さて、今回の話をまとめたいと思います。
Q.中海という町名に「海」が入っている理由は?
A.1890年(明治23年)の10村合併名を付ける際、
住民の多かった「中村」と「軽海村」の一文字ずつを取って『中海村』としたことから。
Q.軽海という町名に「海」が入っている理由は?
A.度々起こった梯川氾濫の水が引かずに海のようになったことから。
<昭和30年ごろの地図>
総論
「この『海』という地名は、水害が由来している」という、思ってもみなかった恐ろしい結論に至りました。
昭和34年8月14日午前11時ごろ発生の水害
(今回の水害から63年前の前回の水害の様子も「中海町史」に載っていました)
さてさて、、、水害ブログも、そろそろ終わりを迎えたいと思っているのですが、
あと、2つ書きたいことがあります。
その一つは中海小学校のことです。【・・・つづく】
海からは直線でも10㎞以上離れた山辺に位置しているにもかかわらず、
町名に「海」が入っているのはなぜなんでしょうか?
今回の水害で私が一番気になったことでした。
私は単純に「昔は大きな湖があったのではないか?」と思っていました。
実際どうなのかを知りたくて「昭和51年発刊の『中海町史』」を
家の奥から引っ張り出して調べてみました。
(分かりやすくお伝えするために正確な詳細は省いて記載します事ご了承ください)
『皇国地誌:加賀国_能美郡_中村(かがのくに_のみぐん_なかむら)』とあります。
???なんと!元来、中海には「海」という字が付いていないのです!!!
更に、読み解いていくと・・・
『明治21年、「市制および町村制」が公布』
これは、簡単に言うと『村合併しなさい』というものです。
これにより・・・この辺一帯の、荒木田村、軽海村、中村、岩渕村、桂谷村、原村、下麦口村、上麦口村、嵐村、中ノ峠村の10村は
合併して「中海村」になりました。
この村名になった理由は戸数や人口が多かった中村(590人)と軽海村(587人)の
「中」と「海」の字を取り合わせて「中海村」となったそうです。
それから、67年後の昭和30年に、中海村は能美郡から小松市に編入合併されたのですが、
中海村と一色単にされていた元10村は、それぞれの町名を持って別れることになりました。
本来であれば、「中村」であったので「中町」となるのですが、「中海」という呼び名が消滅するのを惜しんで
「中町」ではなく、「中海町」となったわけです。
これにより、現代の町名と同様になります。
荒木田町、軽海町、中海町、岩渕町、桂町、原町、麦口町、上麦口町、嵐町、中ノ峠町
ここで、問題視している「海」の字ですが、
前述したとおり、『「軽海」の「海」を取って・・・』
なぜ、軽海には「海」の字が付いていたかに話が変わっていきます。
そこで、軽海町の方に「昭和56年発刊の『軽海町史』」をお借りして調べました。
『皇国地誌:加賀国_能美郡_加留美(かがのくに_のみぐん_かるみ)』とあります。
なんと!!!元来、軽海にも「海」の字はついていなかったのです。
残念ながら「加留美」が「軽海」になった詳細は記されていませんでしたが、
代わりに、このように記載されていました。
『(※簡略表記)梯川が頻繁に決壊し水害が発生。低い土地の加留美は水が引きにくく、海のように・・・」
当時の人が水害で小さい海のようになっているのを見て「軽海」と言ったことが発端ではないか?と書かれています。
また、こうも記載があります。
『(※簡略表記)風雨の変土によって、小松町より軽海村まで泥海と化し・・・』
要するに、梯川は氾濫・洪水が多かったようです。
ですので、梯川沿線の町名には水に関係した町名が多かったり、水害から逃れるために移住したところの「島」を用いた町名が多いのです。
・・・これに関しては、おそらく、日本のどこでもある話ではないかと思われます。
さて、今回の話をまとめたいと思います。
Q.中海という町名に「海」が入っている理由は?
A.1890年(明治23年)の10村合併名を付ける際、
住民の多かった「中村」と「軽海村」の一文字ずつを取って『中海村』としたことから。
Q.軽海という町名に「海」が入っている理由は?
A.度々起こった梯川氾濫の水が引かずに海のようになったことから。
<昭和30年ごろの地図>
総論
「この『海』という地名は、水害が由来している」という、思ってもみなかった恐ろしい結論に至りました。
昭和34年8月14日午前11時ごろ発生の水害
(今回の水害から63年前の前回の水害の様子も「中海町史」に載っていました)
さてさて、、、水害ブログも、そろそろ終わりを迎えたいと思っているのですが、
あと、2つ書きたいことがあります。
その一つは中海小学校のことです。【・・・つづく】
有限会社のむら農産の代表 野村 佳史(ノムラ ヨシフミ)です。
白山連峰の山あいで代々続く米農家の二十代目として、のむら農産の代表をさせていただいております。
米づくりは農薬化学肥料を限界まで抑えた県認証の特別栽培米を生産し、また合成添加物を使わない昔ながらの製法で、餅やかきもちに加工して販売しております。
農家の本質である『食べる人の笑顔』を想い、米づくりや餅づくりにあたり、あったかい食卓のような、和みの空間を皆様にお届けすることが私の使命と思っております。
のむら農産
https://www.nomura-nousan.co.jp/
のむら農産は、石川県小松市中海町にてお米の栽培から、加工、販売までを行っております。
農業に一番重要な土の力を育むために堆肥にこだわり、また、山間部である中海町という昼夜の寒暖差が激しい土地で育まれるお米は、甘みと香りが強く、ふっくらとした味わいになります。
直売店『きのこの里』や、通販サイトにて、お米はもちろん、それらを加工した「かきもち」や「餅」も販売しております。
どうぞよろしくお願いします。